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上田城(徳川に勝ちはしたものの) 「長野県 上田市」 [長野県]

天正11年 (1585年) 7月

真田方1千2百

徳川家家臣、鳥居元忠・大久保忠世・平岩親吉ら7千の兵を打ち負かした第一次上田合戦


慶長5年 (1600年) 9月

真田方3千5百

関ヶ原へ向かう徳川秀忠率いる3万8千の軍勢を翻弄した第二次上田合戦


この舞台が長野県上田市の上田城です

天正11年 (1583年) 真田昌幸によって築かれた平城

まずは、余湖さんのホームページからお借りした俯瞰図を
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上田駅が右にあることを念頭にして下さい

まず駅から来て目に付くのが、二の丸入口の虎口 (こぐち)
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昔はきちんと内枡形になっていたそうです

手前には遊歩道になっている、深い堀があります
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ちなみに、真田屋敷の手前にあった大手門は残っておりません

上田城一番の見所、復元された本丸東虎口櫓門と北櫓
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南櫓
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どちらの櫓も、民間に払い下げられていたそうです

特に南櫓は一時期、遊郭で使われていたとか

この門の石垣には、真田石
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俺たちは城を造るのに、こんな大きな石を使う事が出来るんだぞ!

なんて力自慢でしょうか?

西櫓
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西櫓の下
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昔は尼ヶ淵という淵があって、そのすぐ先には千曲川が流れていたそうです

西櫓から本丸方向
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本丸を囲む水堀
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本丸の角が削られて?
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上田城本丸の北東 (丑寅) の方角は鬼門にあたることから

土塁の隅を切りこみ 「鬼門よけ」 としました これを 「隅おとし」 と言い

上田城の大きな特徴の一つなんです

二の丸北虎口
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抜け穴があったと言われる 「真田井戸」
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石樋 (いしどい)
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竪堀 (たてぼり)
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敵を誘い込むのかもしれません

真田家の城は、虎口や櫓の周りだけが石垣で

それ以外の場所は、土塁が基本

中世城郭と近世城郭の真ん中の造りという感じです




関が原の合戦 (第二次上田合戦) では、父・真田昌幸と次男の信繁 (幸村) は西軍に

長男の信幸は東軍に分かれて戦いました

でも、分かれたお陰で真田家は残ります

のちに信幸は上田の地を離れ、同じく長野県の松代へ転封となります

徳川に二度も勝ちはしたものの、なんとも悲しい話です

真田神社
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信州上田おもてなし武将隊も、お待ちしています
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4月29日

まだ八重桜が綺麗でした
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