皆川城(法螺貝城) 「栃木県 栃木市」 [栃木県]
東北自動車道 栃木インター近くに気になる地名と名称がありまして
皆川城内町と皆川城カントリークラブです
地図自体には城の名称の記載はありませんので まさに埋もれた古城?
近寄ると こんな感じの小高い山が!
入口はとても分かりにくく 皆川中学校の脇道を入ると公民館があり
この公民館に車を停められます
すでにここは城内の一部で 居館があった所です
どんな建物があったのでしょうか? 結構広いです
今風に護岸されていますが 周りには外堀が残っています
説明看板
この看板を見ると
山の斜面を利用して 武者走りや郭が層になって作られているのが分かります
そして形が法螺貝に似ているという事で別名 法螺貝城とも呼ばれています
車を降りて まず目に付くのがこの竪堀
他にも (下から見たもの)
(上の写真を上から見たもの)
ジグザグと 横矢がかけられていますね!
竪堀とは?
と書かれていますが逆に 竪堀は手近に攻められそうなので敵が
ここを登って攻めてきます そこを槍や弓で・・・えいっ !!!
です (怖”
西の虎口
横の斜面にも 武者走りが幾重にもかけられています
西の丸
(奥の 小高い丘は本丸)
本丸
眺めがとても良いです (奥の山は筑波山)
本丸から下を見ると まるで棚田
小さいながらも 攻めにくそうな城です
山の中腹には 篭城時必須の井戸も健在 (凄”
この皆川城
案内看板にあったように 室町時代に長沼氏が築いた城
皆川氏は 案内看板にあった長沼氏の分家筋だそうです
そして本姓はナント 藤原北家秀郷流 小山氏一門長沼氏
公家の 藤原氏の家系なのです
皆川家家紋 (左三つ巴)
暇なので 縄張り図とグーグルアースを見比べてみました
水色・外堀 ピンク・竪堀 黄色・西の丸 赤色・本丸
上から見る事が出来るのは面白いです
そしてこの城
自分で塀や櫓をレイアウトしたら楽しそうな ♪
さてこの皆川氏
宇都宮氏や佐竹氏 そして上杉氏や北条氏の
勢力争いに翻弄される一族でした
皆川城は 皆川氏が栃木城に移った為 1590年に廃城となります
関ヶ原の戦いでは 佐竹氏を牽制
その功で 徳川家康の六男 松平忠輝の御附け家老として
信濃國川中島藩4万石に封じられますが
忠輝の行状よろしからずと幕府に訴えたところ 咎めを受け浪人に
後に赦免され 常陸國府中藩と新治藩に再封されるも
最後は継ぐ子が出来ずに断絶に
はかなげに水仙が 麓に咲いていました
帰り際 薄暮に霞む富士山も 何ともはかなげ (寂”
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