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皆川城(法螺貝城) 「栃木県 栃木市」 [栃木県]

東北自動車道 栃木インター近くに気になる地名と名称がありまして

皆川城内町と皆川城カントリークラブです

地図自体には城の名称の記載はありませんので まさに埋もれた古城?

近寄ると こんな感じの小高い山が!
鳳凰美田 032.JPG

入口はとても分かりにくく 皆川中学校の脇道を入ると公民館があり

この公民館に車を停められます
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すでにここは城内の一部で 居館があった所です

どんな建物があったのでしょうか? 結構広いです
鳳凰美田 039.JPG

今風に護岸されていますが 周りには外堀が残っています
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説明看板
鳳凰美田 034.JPG

鳳凰美田 035.JPG

鳳凰美田 036.JPG

この看板を見ると
鳳凰美田 038.JPG

山の斜面を利用して 武者走りや郭が層になって作られているのが分かります

そして形が法螺貝に似ているという事で別名 法螺貝城とも呼ばれています

車を降りて まず目に付くのがこの竪堀
鳳凰美田 037.JPG

他にも (下から見たもの)
鳳凰美田 040.JPG

(上の写真を上から見たもの)
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ジグザグと 横矢がかけられていますね!

竪堀とは?
鳳凰美田 041.JPG

と書かれていますが逆に 竪堀は手近に攻められそうなので敵が

ここを登って攻めてきます そこを槍や弓で・・・えいっ !!!

( ゚ロ゚)ノ∝━━(゚ロ゚)━(゚ロ゚)━(゚ロ゚)━∈ サクサク串刺し三兄弟
(o ̄ー ̄)o∮→ 弓矢攻撃! ( ̄ー ̄)o∫ シュッ ‥… →;゚o゚) グサッ!

です (怖”

西の虎口
鳳凰美田 042.JPG

鳳凰美田 043.JPG

横の斜面にも 武者走りが幾重にもかけられています
鳳凰美田 048.JPG

西の丸
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(奥の 小高い丘は本丸)

本丸
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眺めがとても良いです (奥の山は筑波山)
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本丸から下を見ると まるで棚田
鳳凰美田 051.JPG

小さいながらも 攻めにくそうな城です
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山の中腹には 篭城時必須の井戸も健在 (凄”
鳳凰美田 053.JPG

この皆川城
 

案内看板にあったように 室町時代に長沼氏が築いた城

皆川氏は 案内看板にあった長沼氏の分家筋だそうです

そして本姓はナント 藤原北家秀郷流  小山氏一門長沼氏

公家の 藤原氏の家系なのです

皆川家家紋 (左三つ巴)
o0130013012931920590皆川城.jpg

暇なので 縄張り図とグーグルアースを見比べてみました
o0576043212930937119皆川城.jpg

水色・外堀   ピンク・竪堀   黄色・西の丸   赤色・本丸
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上から見る事が出来るのは面白いです

そしてこの城
鳳凰美田 054.JPG

自分で塀や櫓をレイアウトしたら楽しそうな ♪


さてこの皆川氏

宇都宮氏や佐竹氏 そして上杉氏や北条氏の

勢力争いに翻弄される一族でした

皆川城は 皆川氏が栃木城に移った為 1590年に廃城となります

関ヶ原の戦いでは 佐竹氏を牽制

その功で 徳川家康の六男 松平忠輝の御附け家老として
 

信濃國川中島藩4万石に封じられますが

忠輝の行状よろしからずと幕府に訴えたところ 咎めを受け浪人に

後に赦免され 常陸國府中藩と新治藩に再封されるも

最後は継ぐ子が出来ずに断絶に

はかなげに水仙が 麓に咲いていました
鳳凰美田 055.JPG

帰り際 薄暮に霞む富士山も 何ともはかなげ (寂”
鳳凰美田 056.JPG

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