舟ぜん 「神奈川県藤沢市」 [神奈川県]
1月は 妻と私の誕生月という事で
ここ数年 江ノ島から鎌倉 そして横浜への1泊旅行を楽しんでいます
今年も18日から・・・だったのですが 御存知の通り雪
妻が集合時間に来れなくなり 過日の冬牡丹を午前中に見て横浜へ
でも去年のアメブロもある事ですし ちょっとズルして混ぜてブログに (悪”
(去年と同じコースを予定していました)
私達のお気に入りは 大船から湘南モノレールで江ノ島に
発車するとすぐ 右手前に大船観音
そして住宅の合間をすり抜け なかなか楽しい車窓
写真を撮るのを忘れるくらいなんです
あ! もちろんカテゴリーがグルメなので
湘南江の島に着いたら腹ごしらえ
今年は行けませんでしたが 駅前の
三年連続 ここを訪れています
ちょっと場末の食堂風ですが (汗”
江ノ島の島内は混んでいますし この店は穴場なんです
これまた三年連続 同じメニューの
鯵のたたき定食
私が毎年食べるもので 妻も同じメニュー
自家製の塩辛や 岩のりも付いています
焼きハマグリも追加で!
日本酒か白ワインが欲しくなります !!!
さて 満腹になった次は江ノ島へ!
次回は さくっと江ノ島です
(これまた過去のアメブロ利用)
それにしても今年は 初っ端から食あたりに雪
なんとも大当たり! (泣”
川端酒造 「埼玉県行田市」 [酒]
そういえば一昨日の夜 TBSで 「のぼうの城」 を放映していました
途中から見たのですが だいぶカットされていて
オリジナルを見た私からすれば かなり不満です ○o。.
さて過日に続き 埼玉県行田市の酒蔵を!
創業は安政7年だそうで 西暦でいいますと
え~と・・・1860年くらい?・・・ですかね
江戸時代の建物だそうです
純米酒と純米大吟醸を購入
まずは純米酒
肴は自分で作った 白身魚と大根を薄く炊いた物
ん? 呑み口あっさり!
米の味は薄めですが かすかに吟醸香も (驚”
そして純米大吟醸
こちらの肴は モツ煮込みを七味を多めに!
なんとも爽やかな吟醸香 そして なんとも美味しい (旨旨”
さらっとしていて グビッ! と呑んでしまいます !!!
関東にも 美味しいお酒を造る酒蔵が いっぱいあるんだなぁ.。o○
そうつくづく思う 今日この頃です
こうのす川幅うどん 花久の里 「埼玉県鴻巣市」 [そば&うどん]
長屋門や母屋を移築した建物がある
この中に こうのす川幅グルメの一つ
川幅うどんを食せる食事処 花音里 (かおり) があります
うどんがメインの店ですが
全てのうどんメニューを 川幅うどんに変える事が出来ます
「肉南ばん天ぷら付き」 を川幅で
ちなみに こうのす川幅グルメとは
鴻巣市と吉見町の間を流れる荒川の川幅が
日本一であることにちなんで誕生したご当地グルメだそうです
堤防の間が 2537メートルもあるとか (驚”
ここの川幅うどんは 幅3センチくらいですが
店舗によっては
10センチ以上にもなるそうです
ちなみに
この幅でも すするのが結構大変 !!!
ん! でも
群馬県桐生市の 「ひもかわうどん」 と どう違うのでしょう ???
まさかの積雪 でも逆に風情が 「上野東照宮ぼたん苑」 [上野界隈]
今朝は 午前1時半くらいに就寝
その時は まだ雨だったのですが午前3時半に起きたら?
外は真っ白 (驚”
でも逆に 風情があって良かったのかもしれません
雪囲いが なんとも可愛いのです
冬の 「ぼたん」 には2種類あるそうで
牡丹には二期咲き(早春と初冬)の性質を持つ品種があり
このうち冬咲きのものが 寒牡丹と呼ばれています
寒牡丹の花は自然環境に大きく左右され
着花率が低く 二割以下といわれています
そこで 花の少ない冬にお正月の縁起花として
抑制栽培の技術を駆使して開花させたものが冬牡丹
なんだとか
そして私は 雪ん娘を思い浮かべましたが
妻は 唐傘お化けを思い浮かべたそうです (変”
すぐそばには ちょい前に修復された
1651年 徳川家光が造営替えした金ピカ東照宮や
お化け灯篭もありますので 合わせて是非!
(お化けが出る灯篭では無く
ただひたすら大きいので お化け灯篭と呼ばれるそうです)
横田酒造 「埼玉県行田市」 [酒]
映画 「のぼう城」 で一躍有名になった? 埼玉県の行田市 (笑”
その行田市にある酒蔵
1805年 文化2年創業だそうです
左 純米吟醸の浮城 右 日本最古の日本酒酵母を使った 「江戸の宴」
忍城をモデルにしたラベルの浮城は 鴨しゃぶ鍋と
吟醸香は ちょっと感じられませんが あっさりした呑み口
どんな料理にも合いそうです
ドコモのポイントで貰った鴨しゃぶ鍋も旨し ♪
一方 江戸酵母仕込の江戸の宴
板倉雷電神社前の 小林屋のナマズの天婦羅と共に
こちらは何とも面白い味で・・・!
程好い酸味と甘さ なんとも美味 (旨旨””
精米歩合70パーセントの純米酒
(精米歩合70パーセントとは
お米を70パーセント残してお酒にしたもの
ややこしいのですが 30パーセント削ったという事です)
普通 この精米歩合だと雑味が多いのですが
この江戸の宴は 複雑な味わいで◎
分かり難いのですが色も若干 黄色がかっています
関東の酒蔵巡り
こういうお酒に出会えると けっこう楽しくなってきます
ナマズとカミナリ 板倉雷電神社 「群馬県板倉町」 [群馬県]
知る人ぞ知る? キュウリの一大産地の群馬県板倉町
この地にデ~ンと鎮座ましますのが
関東に散らばる 雷電神社の総本宮といわれています
主祭神は 火雷大神 (ほのいかづちのおおかみ)
大雷大神 (おおいかづちのおおかみ) 別雷大神 (わけいかづちのおおかみ)
何とも いかつい名前の神様達です
奥宮
社伝によると 創建は598年
湿地に浮かぶ小島であったこの地に 聖徳太子が神の声を聞き
祠を設けて祀ったのが始まりだとか?
館林藩の藩主 徳川家綱が1674年に社殿を再建
なので 社殿に三ッ葉葵の紋章を使う事が許されています
(現社殿は 1835年の造営)
なんとも可愛い福禄寿様
社殿の装飾は必見!
左甚五郎10代目の親方 石原常八の作で
群馬県指定重要文化財の指定を受けています
社務所
カミナリの神様ですからね
このハンカチを買って
ナマズを撫でてあげましょう
天災除けになるそうです
忘れてはいけません !!!
神社の前には ナマズを食せる店があります!
店内&メニュー
折角ですから ナマズの天婦羅をお土産に
昨夜の酒の肴 (旨”
このお話は後日!
ここ 雷電神社を訪れたホントの目的はこちら
この冬は暖かかったせいか見頃は ほぼ終わり
そして3枚ほど写したのですが すべてピントがズレズレ (涙”
でも 良い香りが漂っていました ♪
そしてそして本日は 私の51回目の誕生日 (汗”
やっぱり石田三成は戦下手? 石田堤 「埼玉県行田市&鴻巣市」 [埼玉県]
豊臣方の北条攻め
支城が次々に落城 または戦わずに開城する中
上州の忍城を
ここ 丸墓山古墳に陣を張った豊臣方は 約2万の軍勢で忍城を攻めます
主な攻め手は石田三成 大谷吉継 長束正家ら名立たる面々
守備は 「でくのぼう」 を略した 「のぼう様」 と呼ばれる城代 成田長親 (ながちか)
しかし 関東七名城に数えられる忍城
攻め手2万に対し城兵5百 農民千五百 (諸説あり) の計2千で立て篭もり善戦
(戦わずに降伏するはず・・・だったのに!)
沼地で囲まれた立地を活かし なかなか落とす事が出来ません
これに業を煮やした三成 備中高松城の戦いに倣い水攻めに
(諸説ありまして 秀吉自身が指示したとする説も)
農民などに米や金銭を与えて 5日という期間で
全長約28キロメートルの石田堤を築いたとされます
丸墓山古墳から延びる石田堤
その石田堤が ここ丸墓山古墳以外にも残っています
自称 身長1m50cmの妻と比べると 高さが分かると思います
公園内には忍城の戦い関係する 北条家 成田家 石田家 豊臣家の家紋が
公園内には他に 堤の断面や解説版が設置されています
この公園から車で5分位の所にも 石田堤が残っています
地図的には この辺り
(緑の矢印 上記の石田堤 上越新幹線を跨ぐ赤線が石田堤史跡公園)
利根川と旧荒川の水を利用した この水攻め
三成の予想に反して本丸が沈まず
まるで浮いているかの様に見えたため 忍の浮き城 なんて呼ばれました
(真ん中の若干下に 丸墓山古墳が書かれています)
その後 大雨の影響で本丸まで水没しそうになりましたが
間者 (スパイ) 又は成田家配下の者 (これまた諸説あり) が堤防を壊し
溜まった水が溢れ出し 豊臣方に死者まで出たとか
そして忍城周辺は泥沼の様になり 馬の蹄さえ立たない有様だったそうです
天正18年 (1590年) 6月16日から始まったこの戦
6月下旬には苦戦を聞いて
浅野長政 真田昌幸・信繋親子ら6千の援軍が加わり総攻撃
それにも持ち応えましたが 逆に本城の小田原城が先に落ち
使者が来て その後の7月16日に開城したそうな
いやはやなんとも
石田三成の戦下手
秀吉が唯一 落とせなかった城として
ある意味 秀吉の負け戦といってもよいと思います
この忍城攻防戦を描いた映画 のぼうの城
↓ 興味があって時間がある方は こちらを ↓
↓ 時間も無いし興味も無い方は こちらを ↓
豊臣方の皆様方
坂東武者の槍の味 存分に味あわれよ ヒッヒッヒ (笑”
古 (いにしえ) の浪漫 埼玉古墳群 「埼玉県行田市」 [埼玉県]
先日ブログにした さきたま史跡の博物館
主に 埼玉古墳群からの出土品を陳列しています
最近は何とも便利になったもので
グーグルアースの衛星写真を
白枠 駐車場
この駐車場の前から 反時計回りに
(矢印の色に合わせてあります)
黄緑 愛宕山古墳 緑 瓦塚古墳 青 奥の山古墳
紫 中の山古墳 水色 鉄砲山古墳 黄色 二子山古墳
桃 将軍山古墳 橙 稲荷山古墳 灰 丸墓山古墳
現存するのは円墳1と前方後円墳8の全9基
5世紀後半から7世紀始め頃までに造られたとか
かつては小型の円墳35基 方墳1基もあったそうですが
昭和初期の干拓で 取り壊されてしまったそうです (残念”
では 幾つか載せてみたいと思います
瓦塚古墳
手前 奥の山古墳 奥 鉄砲山古墳
なんとも分かり難いですね! すいません !!!
一番大きい二子山古墳も撮ろうと思いましたが 形が皆同じなので
落花生の殻半分を 地面に置いたみたい (笑”
そして衛星写真を見ると
みな同じ向きなのですが 何か意味があるのでしょうか?
あ! ちなみに丸い方が先端と つい思いがちですが
前方後円墳という名前の通り 前が方形 後が円形です
唯一の円墳 丸墓山古墳
石田三成の忍城攻めで 本陣にしたという古墳
ぜひ登って見晴らしを楽しんで下さい!
国宝の金錯銘鉄剣や帯金具 勾玉や鏡が出土した稲荷山古墳
(左に小さく 古代蓮の里のタワーが見えます)
わが国初 石室内を見学できる 将軍山古墳
忍城 分かりますか?
そして丸墓山古墳から 上り口を振り返ると?
盛り土してある歩道
忍城水攻めの時の石田堤の跡なのです
(衛星写真の赤い矢印)
丸墓山古墳
実は 日本一の大きさの円墳です
関西の前方後円墳には大きさで負けますが この様な小さい範囲に
それなりの大きさの古墳が集まっているのは 珍しいそうです
それにしても どんな人たちが造り
どんな人が葬られていたのか? 中央の大和政権との繋がりは?
古 (いにしえ) の浪漫ですね
ちなみに 世界遺産登録を目指しているらしいのですが
う~ん ?
私的にはなんとも ???
煮干しらーめん どんぐり 「埼玉県行田市」 [ラーメン]
さきたま古墳群の程近くにある
町の中心部からも離れていて
町外の人は 車で行くしかありません
店内は とても明るい造り
紙に書いてありますが
(小) 140g で他店と同量です
チャーシューワンタンめん (小)
あっさりスープと細麺で美味しい
チャーシューが ちょっと固過ぎですかね!
入店したのは 午後1時過ぎ
行列は出来ていませんでしたが
席が空くと すぐ次の客が来る感じの人気店
そして ほとんどの人がワンタンめんを注文
個人的評価 お月様4つ
国宝がズラリ さきたま史跡の博物館 「埼玉県行田市」 [埼玉県]
先日の 古代蓮の里からほど近く (あくまでも車での話) にある
まずは駐車場に車を停めると目の前に こんもりと小さい山
ただの小さい山では無く 愛宕山という古墳
この博物館は さきたま古墳群の中にあります
入口
主に さきたま古墳群および近くの古墳の出土品を展示しています
埴輪
幼稚園の頃に描いた絵 確か人の顔 こんな感じに書いた? かも! (笑”
そして 国宝がズラリ
帯金具
画文帯環状乳神獣鏡 (がもんたいかんじょうにゅうしんじゅうきょう)
注) 受付で写真撮影可という事を確認し 撮影していたわけですが
実はガラスケースの上からの撮影は駄目だったようで 注意されてしまいました!
確かにガラスケースの上から撮影すると もしカメラを落とした場合
展示物を傷つけてしまいます
そして壁面を良く見ると 確かに上からの撮影禁止と書いてありまして (汗”
反省 !!!
なにより有名なのは
金錯銘鉄剣 (きんさくめいてっけん)
銘文 (表)
(裏)
入館料200円の小さな博物館ですが 結構見応えがあります
歴史好きには お薦め!
そしてこの地は 埼玉県名の発祥の地
この近所の住所も 埼玉県行田市埼玉
奈良時代に編集された万葉集に
前玉 (さきたま) とか 佐吉多万 (さきたま) と表記され
平安時代になると
埼玉 (さきたま) とか 佐伊太末 (さいたま) と表記されたそうです
そして時間がある人は是非 埴輪作り体験も出来ます
あ! もちろん古墳も 忘れずに徘徊してきました !!!