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二本松城 (霞ヶ城) 1 「福島県 二本松市」 [福島県]

それでは悲劇の城 二本松城へ いざ!

和菓子の店 日夏の左の道をしばらく行くと
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通称 坂下門

初代藩主 丹羽光重が二本松に入府した際 大手門を造りたかったらしいのですが

財政難の為 実現出来ず

やっと9代目藩主 丹羽長富の時に完成したそうです

さぁ~て ここからは きっつ~い登り坂 (汗汗汗”””
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そしてナント 登った分だけ一旦下り

(あ! 下った所に セブンイレブンがあります 小休止しました)

家と家の合間に見えてきました!
しらかわ にほんまつ 095.JPG


ココまで来るのに・・・息切れ ○o。.

二本松城

古くは応永21年 (1414年) に 畠山満泰が山城を築いたのが始まりだとか

畠山家

畠山義継の代に伊達政宗の父親 伊達輝宗を拉致

これを 伊達政宗が父親もろとも畠山義継と共に鉄砲で射殺してしまう

という 粟ノ巣の変の話が有名ですね

その後 伊達政宗の猛攻に耐え切れず 二本松城は落城

そして畠山義継の子 義綱は会津の葦名氏を頼りましたが

その葦名氏も伊達政宗に攻められ 実家の佐竹家に逃亡しますが

その途中に足手まといになるとされ 殺害されたとか

葦名氏も 畠山氏も滅亡してしまったそうな

なんとも 悲劇の城みたいです

さて やっと 三の丸高石垣の前に到着しました (疲”
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ここまで 徒歩で20分弱 (息切れ 収まりません ○o。.)

二本松少年隊群像
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↑ 平成8年に 寄付金により製作 ↑

箕輪門の前
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箕輪門
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× (バッテンマーク) は 進入禁止の意味ではありません

丹羽家の家紋です

合戦のあとで 血の付いた刀を袖で拭ったら

バッテンの様に血糊が付いていたので 豊臣秀吉から

「これを家紋としたが良かろう」

との言葉により この紋に定められた

も一つは

丹羽長秀の馬印 (大将の馬印) が 戦のあと短尺が散り

そして2枚だけが残り バッテン状に残っていたので

それが家紋になった

とか

それにしても石垣&松 立派なのであります \(^o^)/
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しらかわ にほんまつ 102.JPG


戊辰戦争の際にここで
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丹羽一学 服部久左衛門 丹羽新十郎の3人の藩士が自刃したそうです

ん? 掘り切り ???
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城内の連絡通路でした
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長いブログになってしまいましたが

次は いよいよ本丸で御座います (^O^)/

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