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チラシに誘われて徘徊 3 「平賀源内墓所・おばけ地蔵・妙亀塚」 [北&南千住 三ノ輪 入谷界隈]

玉姫稲荷神社を参拝した後は 平賀源内の墓所へ
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エレキテルを修理 復元した人として有名ですね

道を間違わなければ 歩いて5分ほどです

祭り中なので紅白の幕や お供え物が供えてあります

墓所前の築地塀は
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昭和6年に 松平頼壽 (旧高松藩当主の子孫) により整備された物だそう

昭和18年に 国史跡に指定されています

元々 総泉寺という寺の中にあったのですが 寺は板橋区小豆沢に移転

墓所だけが残ったそうです

あまり知られていませんが 殺傷事件を起こし

小伝馬町の牢内で獄死 (諸説あり) したとか

さて

次の場所に移動しようとトボトボ歩き始めたら

ちょうど子供たちのマーチングバンドの演奏が始まりまして

その演奏に合わせながら徘徊していたら偶然に

この地区で ちょっと有名な

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食べログで けっこう点数が高いのであります

(開店前ですし 食べておりません)

さて 次の場所は 「おばけ地蔵」
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名前の由来は

かつて大きな笠をかぶり その笠が向きをかえたから

あるいは 高さ3メートル余りの並はずれて大きいから等

いくつか伝承があるそうです

台の石によれば 1721年 (享保6年) の建立とされ

そして 関東大震災の折には真っ二つに なんだそうです

おばけ地蔵の前には 露店が数店ほど出ていました
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そして ここから数分程の所には

妙亀塚
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この妙亀塚には物語がありまして 超簡単に書きますと

「京都に住む子供 梅若丸が 陸奥の人買いにさらわれ
そして 東北へ行く途中 隅田川のほとりで死んでしまいます
それから1年 子の母の妙亀は
我が子恋しと京都から やっとの思いで隅田川のほとりにやってきます
とある塚に 我が子が葬られているのを知り悲嘆
我が子の成仏を願い 塚の傍らに庵を造って念仏三昧の生活をします
しかし 可愛い我が子を忘れられず ついに発狂して
浅茅ヶ原 (この近辺にあったらしい) の鏡ヶ池に身を投じてしまう」

という 哀れな物語なのであります (泪””

大まかな位置ですが 茶星 おばけ地蔵    青星 妙亀塚
アサヒ地図 - コピー (4).gif

涙を拭いながら も少し徘徊します (T_T)/~~~

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