1989年(平成元年) ヨーロッパの旅 2 アンカレッジとコペンハーゲンの空港 [1989年(平成元年) ヨーロッパの旅]
さて もちろん当時の国際便は成田から
そしてまだ ヨーロッパへの直行便なんて無く
最短はソ連のモスクワ経由なんですが(ソ連 知ってますよね?)
便数も少なく高価
安いのは南回りと言って 東南アジア系の航空会社を使うのですが
これだと 途中の乗り換えを含め20時間くらいかかります
南回りより高くなりますが も少し短い時間の北回りと言う航路があって
私達(会社の先輩と二人旅です)は北回りを選択
SAS(スカンジナビア航空)を利用しました
(スウェーデン ノルウェイ デンマークの各国が経営しとります)
確か DC-10に乗った様な記憶が?
まずは アラスカ(アメリカ)のアンカレッジ空港(ここまで約4時間)
ちなみに なぜ直行便が無いのかと言いますと
この当時の飛行機は燃費が悪く ヨーロッパまで飛ぶには燃料が です
今でも白熊君 いるのかな?
そして 遠くにマッキンリー山が見えたと日記に書いてあるのですが
(植村直己は いずこに眠って?)
山の写真は無く なので 私の写真で我慢して下さい
(〃ノωノ)
この当時 日本からヨーロッパやアメリカに行くには
ここアンカレッジを経由しなければならないので
空港内は日本人だらけ 外国なのに日本円の硬貨も使えて便利でした
給油で2時間近く待ち ここから約7時間ほどかけて
デンマークのコペンハーゲン空港に
成田と比べると メッチャきれい
で 写真を撮っていたら 御洒落な服を着た日本人男女5人組の中の女性が
「日本人て嫌だよねー すぐ写真撮るから」
「どうせ日本人だよ! そういうアンタも日本人だろ 凸`-´O」
ここ コペンハーゲン空港では乗換えで またまた2時間ほど
最後に1時間ほどでフランクフルト空港(西ドイツ)に到着 (;-ω-`A) フゥ…
(1989年の晩秋にベルリンの壁が崩壊 翌年には東西ドイツが統一となります)
で まだ終わりません
DB(ドイツ国鉄・ドイチェ ブンデス バーン)に乗ります ヽ(°´Д`)ノ
先輩が片言のドイツ語で切符を買い
(ちなみに 先輩がドイツ語担当
私はフランス語[NHK教育テレビ{今はEテレ?}の講座で勉強]担当です)
飛行機より楽ちんな列車で
ライン川沿いをケルンへと向かいます ⁽⁽(ી₍₍⁽⁽(ી₍₍⁽⁽(ી( ˆoˆ )
あ! 次からは写真が増えます (^O^)/
それにしても 尻が痛いっす (。>_<。)
そうそう!
成田からアンカレッジ!
トーマスクックにユーレイルパス。
実際に使ったことはありませんでしたが、一度やってみたかった
なぁぁ。。
でも女性のみではやはりちょっと(かなり?)怖くて。。
この頃の海外旅行は、やはり一世一代、と何処か気負ったところが
ありましたよね。それもまた味。。
by 向日葵 (2021-09-12 02:47)
向日葵 さん
この時代 ヨーロッパや北米へ行くには
アンカレッジ経由が定番でして なので日本人ばっかり
安心感がある分 これからホントに海外なのかなぁ?
なんて思ってしまいます
あ 実際ヨーロッパを巡っていたら
女性が一人で とか 二人旅の方々とかなり出会いました
でも皆さん 私達とは違い 英語や現地語がペラペラで(凄”
by けせらんぱさらん (2021-09-12 20:33)
アンカレッジ経由の経験はないので羨ましいです。
私は2回とも香港経由(2回めはバーレーンも経由しました)で
いわゆる南回りでしたがお金がなくても時間があったんだなあと
思い出します。
私も昔の旅行、そのうち記事にしてみたいです。(^o^)
by うつぼ (2021-09-13 08:46)
うつぼ さん
アンカレッジ ホントに日本人ばかりで売店の人も日本語OK
ましてや日本円の小銭も使える 今では考えられない空港でした
さて このブログ 実はネタが枯渇したために書き始めたのですが
書いている内に懐かしさが募り そして だんだんと楽しくなり
まぁ自己満足ですが これはこれで面白いなぁ! なんて
不定期ですが これからも続きますので宜しくお願いします
by けせらんぱさらん (2021-09-14 13:59)