東京メトロ・日比谷線から見える物 2 [北&南千住 三ノ輪 入谷界隈]
東京メトロ日比谷線が南千住を出て三ノ輪に向かう途中
南千住を出た瞬間の右側
或いは逆に、三ノ輪を出て南千住に着く直前の左側
ほんの一瞬、三つ葉葵の紋
ここは浄土宗の小塚原回向院
JR常磐線 (当時は日本鉄道) が敷地内を分断するにあたり
墓所が線路をはさみ北側南側に別れてしまいました
この片方が、のちに前述の延命寺になります
吉展地蔵尊 (よしのぶじぞうそん)
1963年に起きた、吉展という男児の誘拐殺人事件の供養のため建てられました
教科書で見た事が! 解体新書のレリーフ
桜田門外の変で大老・井伊直弼を暗殺した、十五浪士の墓
一番奥には、吉田松陰の墓
腕の墓?
寛文のころ、野出の喜三郎と称する五人力の侠客が
2尺5~6寸の長脇差で町内を横行していた
あるとき、けんかで喜三郎は相手をさんざんにいためたが
自分も片腕を落とさんばかりに斬られたのに自若として帰宅し
片腕が見苦しいからとして子分にのこぎりで切り落とさせたという
世間はその放胆に舌を巻き、腕の喜三郎と名を改め
その侠勇は四方にとどろいた のちに出家して 「片板」 と号した
なんだとか
なんと、鼠小僧次郎吉の墓もあるんです
ちなみに、ここ小塚原仕置場
処刑、埋葬が小塚原仕置場の主な役割ですが、試し切りの場所としても機能していました
試し切りには、刑死者の男の死体が用いられました
土壇に置かれた首なし死体を試し切りしたのは、山田浅右衛門と言う人と、その一門の者たち
試し切りの後、刀は刀工のもとに戻されて、切断面に山田浅右衛門の名が刻まれ
品質を保証されることになったそうです
さて、何故に三つ葉葵の紋が?
調べてもよく分からなかったのですが
もしかしたら徳川家の馬が、ここに埋葬されたことに関係があるのかもしれません
それにしても南千住という町
マイナーな町にしては、なんともディープな!
そして 「東京メトロ・日比谷線から見える物」
もう一話あります
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