皇居東御苑 弐 [母の日を兼ねて お江戸へ 16] [東京都 その他の地域]
さて いよいよ本丸なんですが
いろいろとネット検索していたら 江戸城本丸の古絵図がありましたので
本丸で最初に見ていくのは 江戸城で唯一現存する三重櫓
これまた 明暦の大火(振袖火事)での焼失後
1659年(万治2年)の再建なんだとか
江戸城天守が焼失した後の 代用天守だったとも云われます
そして この富士見櫓を反対方向へ行くと 天守台
東西約41m 南北約45m 高さ11mの天守台に 51mという天守は
さぞかし圧巻だった事でしょう
それにしても ほんまに欧米系の方々ばかり
ちなみに 天守の真ん前は大奥です
さて 天守台の隣に 何やら優美な建物
桃華楽堂で
昭和41年(1966年)2月に
音楽好きの香淳皇后(こうじゅんこうごう=昭和天皇の皇后)の還暦記念で建設された
200名収容の音楽ホールという事です
で 天守台の裏手 北桔梗門を (¬_¬)
天守から一番近い門のため 近くの濠は他より深く
ここに架かっていた橋は跳ね橋で 普段は渡れない様に上がっていたそうです
そして ついに城が落ちる! という時の脱出口だったらしいです
で 梅林坂を下りながら 良~く石垣を見ていると
刻印らしき物が ( ಠ дಠ )
何かの目印の様ですが
その石を切り出したり 運んだりした大名の刻印なんだそう
最後に 家康時代の築城当初の石垣が残る 白鳥濠を眺め (¬_¬)
平川門から退苑
大奥女中達の出入りする通用門「お局御門」としても使われ
北の丸に暮らす御三卿(清水家・一橋家・田安家)の登城口でしたが
罪人や遺体(糞尿も)を出す 不浄門としても使われたそうです
実際は脇門があり そちらから みたいです)
ちなみに この門に架かる木橋は 昭和63年(1988年)に再建されたのですが
往時の姿に造られたそうです
んで 平川門を出たら 作日と同じ 毎日新聞本社
またここから 。。。(( T_T)(( T_T)
皇居東御苑 壱 [母の日を兼ねて お江戸へ 15] [東京都 その他の地域]
皇居東御苑を訪れるのに
大手町駅で下車したのは もちろん大手門から入苑するため
ここも他の門にたがわず 最初は高麗門
(⇧ 明暦の大火[振袖火事]で焼失後 1659年[万治2年]に再建 ⇧)
もちろん桝形で 横は渡櫓門となっております
(⇧ こちらは1965年[昭和40年]に復元 ⇧)
では 苑内を時計回りに 。。。(( T_T)(( T_T)
最初に見えた建物(昔の です)は 登城者を監視していた同心番所
元々はココでは無く もう少し手前
大手門を くぐってスグの所にあったそうです
まるで巨石の遺跡かっ! てな感じの
(この辺り 実は 大手門の次に在った大手三の門です)
デッカイ石垣に感動して歩いていると
本丸への道を警備する百人番所
甲賀 伊賀 根来(プラス二十五騎組)の各組が守っていたそうで
もしかしたら 忍者集団だったのでしょうか?
何故か隣に 建物形に刈り込まれた可愛い植木がありました (●´艸`)
この前には本丸最後の砦 中之門となります
江戸城の中でも 最大級の石が使われているそうです
ここもモチロン 対で中雀門があり
最後の番所 大番所が睨みを利かせています
⇧ こちらは昭和41年(1966年)に復元されたものだそうです ⇧
ここを抜けると いよいよ本丸
大手町駅から将門塚 そして東御苑へ [母の日を兼ねて お江戸へ 14] [東京都 その他の地域]
お江戸の中心に向かいます
で またまた丸の内線 再登場
(池袋が始発なので ただ単に座りたいだけ)
初代の車両にあった サインウェーブ(波線)が施されているのが好きです
ちなみに 昔の銀座線と丸の内線
時々車内の照明が消えて非常灯が点くの 若い人は知らないでしょうね
んで 大手町駅下車
出口を出たら 今度はサンケイ新聞本社
ちょっと前は 毎日新聞本社でしたね
ちなみに サンケイ新聞本社の隣は 読売新聞の本社があり
箱根駅伝 絆の像が建っていました
あれ! なにかある ぞ (ꙭ̱৭)?
将門塚でした
平安京の都大路で晒された平将門の首が 伝承では その首が江戸に飛び去り
その後この地は 長らく将門の怨霊に苦しめられてきたとか
実は 最近まで祟りがあったそうです ((゚゚дд゚゚ ))
そして 8年振りに訪れるのは
皇居東御苑
洋食 GOTOO (ゴトウ)[母の日を兼ねて お江戸へ 13] [大塚 巣鴨 駒込 王子界隈]
おはようございます ٩(๑´0`๑)۶
朝9時半過ぎ 喫煙テラスからの眺めで御座います
(午前11時30分に開店の「ぼんご」 もう並んでおります)
部屋の窓からは サンシャイン60も良く見えます(o´∀`o)
チェックアウトを済ませ 大塚駅の南口へ
都電沿いの薔薇が見頃です (*˙˘˙)♡
で 大塚の宿題店 ついに初訪問です
1971年(昭和46年)創業
二代目が「キッチンごとう」から 「洋食GOTOO」に変えたらしいです
店内は狭く カウンター7? 3卓のテーブルは ほぼ繋がって?
では ランチメニューから
妻 コンビネーションA(チキンカツ・カニクリームコロッケ 1200円)
ライス みそ汁が付きます
(私にも みそ汁が付いていましたが かなり濃いめ)
ちなみに妻 ムシャムシャ食べておりました Ψ(,,・ ༥・,,)
(カニクリームを少し貰いましたが 美味しかったです)
とんかつカレー(1300円)は私
サラダ みそ汁付き
カレーは何となく懐かしい味
それにしても肉が
とんかつ専門店では無いのに うっすらピンク色
う~ん こちらも旨いっす !!!
で ブタミンのチャージ完了 (^⑪^)v
今日も 。。。(( T_T)(( T_T)
夜の大塚を徘徊 二 [母の日を兼ねて お江戸へ 12] [大塚 巣鴨 駒込 王子界隈]
夜の大塚 二話め (∩_∩)ゞ
大塚駅の通路で 何故か一人で踊っていますが
空蝉 塁(うつせみ るい)なんだとか
ワカリ ( ˘•ω•˘ ) マセン.。oஇ
近くの橋 空蝉橋から採ったんでしょう
(この辺り 昔は夏になると 蝉の抜け殻が多かったとか)
北口に出て 我がホテルを ( ▢ _ ▢ )
それにしても こちらの駅前は眩い吞み屋ばかり
なんですが この眩い店の殆どは 大塚活性プロジェクト
(baという文字が目印です)
ironowaという企業が立ち上げたみたいです
ちなみに今回の宿 OMO5東京大塚by星野リゾートは
ba01となります
で ホテルに戻り 喫煙テラスで数枚 (^_-)-☆
矢印の店は すべてba02
ちなみに黄色の矢印は 「おにぎり ぼんご」の行列となります
それにしても 夜8時半ですよ w(◎o◎)w
16歳まで住んでいた大塚
こんなに変わるとは思いませんでした
せっかくですから Travelers’ Fun Loungeで
(* ̄0 ̄*)ノ口口
最後は 部屋の窓から大塚駅を眺めながら
(* ̄0 ̄*)ノ口口口口
え! 夜食?
もう食べられまへん
夜の大塚を徘徊 一 [母の日を兼ねて お江戸へ 11] [大塚 巣鴨 駒込 王子界隈]
最近すっかり恒例となった 夜の徘徊
もちろん此度の大塚も C= C= ┌(;・_・)┘┌(;・_・)┘
大塚駅(南口駅前から)
アトレヴィの中 なんか吹き抜けの様に見えますね
では 目の前の
サンモール大塚商店街を1枚だけ
ここは何故か 道が五方に延びる ちょっと不思議な場所
地図をみてみると
昔は何かしらの中心だったんですかね?
で 南口から線路沿いに巣鴨方向に向かうと
バッティングセンター パチンコ ゲームコーナーがある複合施設
大塚レジャービル
この界隈では有名で 地元では「ひょうたん島」と呼ぶ人が多いです
(ビルに入っている パチンコ屋の店名です)
そして この脇の通りは 大塚三業通り
前にも書きましたが 三業とは
料亭 待合(芸妓さんと遊ぶ所) 置屋の三業種が揃った地の事
東京では有数の花街だったそうで
花街になり始めたのは 大正9年(1920年)頃らしいです
最盛期は昭和6年という事で 料亭22軒 待合61軒 置屋68軒
芸妓は260名いたそうです
そんな通りだったのですが
今では数軒の料理屋が残っている町になってしまいました
それでも時々 昔は料亭だった?
なんて店を見る事が出来ます
これまた 前にも書いた事ですが
昭和56年(1981年)まで この三業通りの奥の方
大塚駅から10分ほどの地に住んでいながら私
一度も芸妓さんに出会った記憶がありません
でも 三味線の音を聞いた事は 何となく記憶に残っています
さて そろそろホテルに戻ります
OMO5東京大塚 by星野リゾート やぐらルーム [母の日を兼ねて お江戸へ 10] [お宿]
さて 盛り上がって?きましたが
いよいよ部屋の紹介です (^^)/
泊まった部屋の名前は「やぐらルーム」
とりあえず 間取りは こんな感じ
「使い勝手の良さと心地よさにこだわった カジュアルで革新的なゲストルーム
旅先のマイルームのようなリラックス空間」がコンセプト?
入りま~す (^_^)/
バス トイレ
別々なのは◎ですが ちょっとバスが派手ですね
(トイレのドアが内開きなのは 出入りに不便っす)
対面の壁なんですが 狭い空間を上手く利用しています
最奥には「くつろぎソファ」
窓も大きく採られ なんとも居心地の良い空間となっています
部屋の中ほどには階段
上がるとベッドルームです
一見 面白い造りで 最初はワクワクしたのですが
ベッドルームが中2階的に造られているので
くつろぎソファからの出入りは少し背を縮めて
そして ベッドルームは高さが無いので かがまないと頭をぶつけます
(>_<。)\
正直言って 最初のワクワク感は途中で消え
頭を ぶつけない様(階段があるので就寝後のトイレ) 気を使いながらの滞在でした
OMO5東京大塚 by星野リゾート [母の日を兼ねて お江戸へ 10] [お宿]
ちょっと前から気になっていたホテルです
あるのは 大塚駅の北口
駅前ロータリーからの見た目は 普通のホテルなんですが
なんかチト違う?
山手線と都電が交差するノスタルジックな大塚
下町情緒溢れるローカル体験を謳歌する ディープな滞在を提供する?という
なんか ワク(っ ‘ ᵕ ‘ c)ワク しながら エレベーターでフロントがある4階へ
(これより 昼と夜が混在する写真となります)
エレベータを降りて フロントへと向かう通路なんですが
いいぞいいぞぉ ( ¯꒳¯ )b✧
大塚に居る気分が盛り上がります ☆-ヽ(*´∀`)八(´∀`*)ノイエーイ
こちらはロビー
(Travelers’ Fun Lounge?)
実家での夕飯を終え帰ってきたら ここでDJライブが行われていました
そして フロント横はカフェ&朝食会場
朝訪れると 朝御飯を食べない私でも
お腹がグゥ!と鳴りそうな良い香りが漂っていました
ちなみに 喫煙所が奥のバルコニー(ベランダ?テラス?)にあり
真下に都電がガタンガタン ≠≠[。□□□]
ん! ブタマミレ?
で 次は 部屋の御案内 (^o^)丿
実家で食事 [母の日を兼ねて お江戸へ 9] [ブログ]
ホテルのチェックイン予定時間は午後4時
もう4時を過ぎてるやないかい ヾ(〃^∇^)ノ
母の日の食事を買いに 池袋の東武百貨店へ …… ヘ(*¨)ノヘ(*¨)ノ
話は逸れますが 東京7不思議の一つ(嘘”
なぜ池袋は 西口が東武で 東口が西武なのか?
(東京から上州に向かうので東上線っす)
なので 必然的に池袋の西側に
西武池袋線(元は武蔵野鉄道)は後から建設されたので 空いていた東口に
そこにデパートが出来たという事です
(西武百貨店は元は菊屋デパート そして武蔵野デパートから西武に変換)
(´・∀・`) ヘー
余談ですが東上鉄道は 新潟まで延伸を考えていたそうです
(実際は上州までも届きませんでした)
話を戻して 買い物は東武百貨店のデパ地下(B2)で
(西武百貨店は もう駄目でしょう)
広くて店がイッパイあり 目移りするのですが時間が
そそくさと美味しそうな総菜を買って行きます
まずは 日本のサラダいとはん(もそかしたらRF1かも?)
北海道産帆立とアスパラの和サラダ
焦げ目の苦みで 中の甘みが引き立ちます
ヤリイカと夏野菜のだし醤油あん 白葱風味
ヤリイカぷりぷり ( ᐢ ᵕ ᐢ )
あ モチロン忘れていません
妻の分の写真はありませんが
何故か発泡ワインの小さい缶で ヘロヘロになっていました(笑”
名前不明(レシートに店名も総菜名も書いて無いっす)
甘み控えめに炊かれて ( ◜ᴗ◝)
魚の名前(総菜名)は忘れましたが
めちゃ旨し 白飯くれ~!
桂林の国産牛肉とピーマンの細切り炒め
しっかり味の旨中華
おこわ米八の おこわ
さすが米八 v(≧∇≦)v
デザートも忘れずに
アンジェリーナのモンブラン
今回は お袋も美味しそうに食べていました (^_^)v
さて 歩くのは厳しくなってきましたが
食欲は旺盛で とりあえず元気そう
ただ ふとした拍子に ちょっとボヤ~っとする事があり
う~ん ボケ無いでほしいなぁ σ(´・д・`; )
靖国神社 遊就館(ゆうしゅかん) [母の日を兼ねて お江戸へ 8] [東京都 その他の地域]
何風なのかは分かりませんが 何とも博物館的な建物は
靖国神社の遊就館
名称は中国の古典
から 「遊」「就」を撰んだもの なんだそう
(まぁ まったく分かりませんが)
まずは入館すると
C56と零戦 カッコええっす ( ̄^ ̄)ゞ
ここは無料で見学できます
で 入館料(大人1000円 JAF割あり)を支払い2階へ
で まずは ココまでは写真撮影が可
この後は暫く撮影不可となります
そして 武士が日本を治めた頃の武具が続き
幕末から欧米列強のアジア侵略とロシアの南下
最後に1階へ戻り こちらは大東亜戦争で亡くなられた方々の遺品や遺書
特に 特攻隊員の遺品や遺書には心打たれます
ラストは大展示室(写真撮影可)
ヤップ島のジャングルで発見された艦上爆撃機「彗星」や
(⇧上の白い機体は ロケット特攻機「桜花」⇧)
高角砲に サイパンで発掘された九七式中戦車
水上特攻艇「震洋」
軍艦の模型なんぞが展示されています
正直言って こんなに盛りだくさんの展示があるとは知らず
予定の時間を大幅にオーバー (・Д・;
急ぎ池袋に向かう私たちです
ε=ε=(((((ノ`・Д・)ノ(ノ`・Д・)ノ
(良きにしろ悪きにしろ 見学する意味は大きいと思います)