麺屋 ごとう 「東京・駒込」 [ラーメン]
JR山手線・東京メトロ南北線の駒込駅から徒歩2~3分
土曜日だったので開店前から、かなりの行列でした
もりチャーシュー
あっさりしたダブルスープ
中太麺は、けっこうなボリューム
東池袋にあった大勝軒の味を、一番継承しているといわれます
個人的評価 お月様3.75
昨日から 「旧古河庭園 バラフェスティバル」 [大塚 巣鴨 駒込 王子界隈]
戦渦を乗り越えて 「東上野・下谷散歩」 [上野界隈]
知る人ぞ知る 「仏壇通り」
JRと東京メトロの上野駅から、東京メトロ銀座線の田原町駅の間の通り
この通りにある「翠雲堂」 タレント 「山口もえ」 さんの実家です
地図では、この辺り
真ん中を横切る通り (浅草通り) が仏壇通りです
そして、この地図のオレンジ枠の中を彷徨っていると
ちょっと変わった家を見る事が出来ます
なぜか緑色の家
これらは関東大震災のあとに東京で流行った、火に強い銅板葺きの外壁の家
奇跡的に大東亜戦争の空襲にも遇わなかったので、今でも残っているそうです
昭和5年に建てられた、こんな家も
モザイク柄、お洒落です!
お化け屋敷ではありません
こちらは、平成2年に廃校の旧下谷小学校
1928年 (昭和8年) に建てられた鉄筋コンクリート3階建て
今は台東区の行事等に使われているそうですが
どう見てもやっぱり、お化け屋敷です
梅雨を過ぎると蔦に葉が茂り、ある意味凄い雰囲気になります
最後にココに来たら、ココもお見逃し無く!
日本でココ一箇所、地下鉄の踏切
あれ! これらすべて、大東亜戦争の前と最中に造られた物ばかり
よく残ってました
これも懐かしい ♪
何でも揃いそう 長野駅ビル 「MI DO RI」 [長野県]
2014年11月にオープンしたばかりの長野駅の駅ビル
ここだけで、長野のお土産がすべて揃いそうな店舗数
もしかしたらココ、朝から呑める?
とても便利で、私も利用しましたが
酒だけは蔵元で購入しました
変なところだけ意地を張る私です!
北陸新幹線、もう乗りましたか?
独り言
1週間ほど前、妻が 「コホンコホン」 と咳を
そして妻は2~3日前に治ったらしいのですが、今度は私の体調が!
風邪が流行っているみたいです
また一つ、消えていく 三軒茶屋三角地帯 [東京都 その他の地域]
テレビなどで御存知の方も多いと思いますが
世田谷区三軒茶屋駅すぐ近くの三角地帯
戦後の闇市から始まった、ここ三角地帯
東日本大震災を機に、再開発の話が進んでいます
アーケードになっている所も、ほとんどの店がシャッターが下りています
アーケードが無い奥は、ほぼ全部が呑み屋
陽が沈みネオンが灯る頃、訪れたいですね!
こんな雑多な所も
同潤会アパートも、上野を最後に2013年に取り壊されてしまいました
昭和の面影も、また一つ
消えていく運命なのです
気になります! 長野市散歩 [長野県]
善光寺の周辺
今のご時世、この様に立ち並んでいるのは珍しいと思います
宿坊
何軒くらいあるんでしょうか?
一度泊まって、精進料理を食べてみたいですね!
でも朝早く起きて、お勤めとかあるのかもしれません
なんだか気になります
そして長野市内の繁華街には、こちらも気になるお店が数軒!
歩き疲れて無ければ入ったのですが
残念!
今思えば、どれも気になります
ただいま御開帳中 長野市善光寺 [長野県]
先月の4月30日
平日とはいえゴールデンウィーク中なので、善光寺は大賑わい
まずは善光寺境内案内図
大門交差点 (下部中央・青いところ) まだまだ人は少なめ
でも、だんだん人が増えてきて
仁王門まで来ると大賑わい
大正7年 (1918年) 再建だそうです
気が引き締まります!
もちろん私は、やましいことは少ししかしていません!
この付近、足元にもご注目
善光寺参道に敷き詰められた石畳は、ピッタリ7777枚
その昔、江戸の大店の主人が息子の供養にと
寄進したものだそうです
六地蔵
山門
山門から後ろを振り返ると、人・人・人
今年は7年に一度の御開帳なのです
秘仏である御本尊様のお身代わりとして
まったく同じお姿の 「前立本尊」 様を本堂にお遷しして
全国の人々にお参りいただく盛儀
現在の本堂建立の際、松代藩が普請奉行にあたったというご縁から
毎回松代町から 「回向柱 (えこうばしら)」 が寄進され、本堂前に立てられます
回向柱は前立本尊の右の御手と善の綱で結ばれ
柱に触れる人々にみ仏のお慈悲を伝えてくれます
だとか
確かに繋がってます
お戒壇巡りは?
なんと90分以上待ち !!!
「極楽の錠前」、これがなかなか見つからないんです
空いていれば何回もチャレンジ出来るのですが
今年の御開帳
4月5日から5月31日までの57日間です
皆さんも、牛に引かれて善光寺参りを
岡崎酒造 [長野県上田市] [酒]
古い町並みが残る、長野県上田市柳町
そこに佇む岡崎酒造
可愛い店内の装飾
岡崎家所有の雛人形
亀齢 (きれい)
そろそろ冷奴が美味しい季節
純米吟醸、美味しくって呑み過ぎそう!
創業は寛文5年 (1665年)
ということは、あと50年もすれば?
目指せ創業400年!
松代城(海津城) 「長野県 松代町」 [長野県]
長野駅からバスで30分ほど
長野県上田から、真田家が転封された土地は長野県の松代
そして明治の廃城後は建物が打ち壊され、城としての景観は失われていました
それが平成の大普請で櫓門や木橋、石垣や土塁に堀を
江戸時代の姿に限りなく近い状態で再現したのが、この松代城です
この松代城 (別名・海津城) 、築城時期は不明なのですが
元々あった地元の豪族の館を、武田信玄の軍師・山本勘助が城にしたそうです
まずはやっぱり、余湖さんのホームページから俯瞰図を
実際残っているのは、二の丸から内側です
裏側? だったかな???
本丸の戌亥櫓台
本丸と二の丸の間の北不開門
ちなみに本丸太鼓御門と北不開門、しっかり枡形虎口 になっています
井戸
この門、狭すぎ? ませんか ???
ホントにこんなの、あったのでしょうか?
武者走り?
青空に映え美しいのですが
なんだか、兵 (つわもの) どもの夢の跡? ですかね?
十万石から十三万石へ加増されて、上田から松代へ転封した真田家ですが
近いとはいえ生まれ育った土地を変わるというのは、どういう気持ちなのでしょうか?
でも真田家は、無事に幕末まで存続します
松代には城の他にも、城下町の面影を残しています
平成12年4月1日に廃線となった、長野電鉄屋代線・松代駅
こちらもちょっと、寂しいですね!
参考ホームページ
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上田城(徳川に勝ちはしたものの) 「長野県 上田市」 [長野県]
天正11年 (1585年) 7月
真田方1千2百
徳川家家臣、鳥居元忠・大久保忠世・平岩親吉ら7千の兵を打ち負かした第一次上田合戦
慶長5年 (1600年) 9月
真田方3千5百
関ヶ原へ向かう徳川秀忠率いる3万8千の軍勢を翻弄した第二次上田合戦
この舞台が長野県上田市の上田城です
天正11年 (1583年) 真田昌幸によって築かれた平城
まずは、余湖さんのホームページからお借りした俯瞰図を
上田駅が右にあることを念頭にして下さい
まず駅から来て目に付くのが、二の丸入口の虎口 (こぐち)
昔はきちんと内枡形になっていたそうです
手前には遊歩道になっている、深い堀があります
ちなみに、真田屋敷の手前にあった大手門は残っておりません
上田城一番の見所、復元された本丸東虎口櫓門と北櫓
南櫓
どちらの櫓も、民間に払い下げられていたそうです
特に南櫓は一時期、遊郭で使われていたとか
この門の石垣には、真田石
俺たちは城を造るのに、こんな大きな石を使う事が出来るんだぞ!
なんて力自慢でしょうか?
西櫓
西櫓の下
昔は尼ヶ淵という淵があって、そのすぐ先には千曲川が流れていたそうです
西櫓から本丸方向
本丸を囲む水堀
本丸の角が削られて?
上田城本丸の北東 (丑寅) の方角は鬼門にあたることから
土塁の隅を切りこみ 「鬼門よけ」 としました これを 「隅おとし」 と言い
上田城の大きな特徴の一つなんです
二の丸北虎口
抜け穴があったと言われる 「真田井戸」
石樋 (いしどい)
竪堀 (たてぼり)
敵を誘い込むのかもしれません
真田家の城は、虎口や櫓の周りだけが石垣で
それ以外の場所は、土塁が基本
中世城郭と近世城郭の真ん中の造りという感じです
関が原の合戦 (第二次上田合戦) では、父・真田昌幸と次男の信繁 (幸村) は西軍に
長男の信幸は東軍に分かれて戦いました
でも、分かれたお陰で真田家は残ります
のちに信幸は上田の地を離れ、同じく長野県の松代へ転封となります
徳川に二度も勝ちはしたものの、なんとも悲しい話です
真田神社
信州上田おもてなし武将隊も、お待ちしています
4月29日
まだ八重桜が綺麗でした