1989年(平成元年) ヨーロッパの旅 12 西ドイツのベルヒテスガーデンとイタリアのヴェネツィア [1989年(平成元年) ヨーロッパの旅]
日本人には知られていませんが
この ドイツアルプスの町を選んだのは先輩
湖(ケーニヒ湖)に遊覧船があるのですが 遊覧の途中で船を停め
船員が山に向かってトランペットを吹くと
その音が「こだま」になって返って来るんだとか >⊆ⅲ⊇◁♪♪♪
ところが 楽しみにしていた先輩を嘲笑う様に 乗った列車が遅れ
その上 遊覧船のチケット売り場は長蛇の列 ((~・。・)~~~
時間が無くなってしまい
湖畔で日焼けしただけで終わってしまいました (_ _|||)
私は 「この後の予定を変更して一泊しましょう」と言ったのですが
先輩は 「変更したくない! でも悔しい !!」と いつまでもグズグズ
あんたは子供かっ (  ̄ㇸ ̄)凸
それにしても風光明媚っす ( ¯꒳¯ )b✧
で グズる先輩をシカトしながら オーストリアのザルツブルクへ
翌日の列車の都合で 夜に着いて早朝の出発
ただ泊るだけだったので ザルツブルクの写真は1枚もありません(寂”
(でも記憶を辿ると ホーエンザルツブルク城を撮った覚えが! あれぇ?)
そして翌日は ほぼ一日列車の中
またまた列車が遅れ
夜の9時にヴェネツィア着 急いで夕飯を食べ急いで就寝 ( ˘ᵕ˘ ) zzz...
(有名観光地ヴェネツィアという事で 宿は予約してありました)
もちろん 翌日は観光です
ちなみに ヴェネツィアの町中は まるで迷路
~(((゜o。)))~
大体の地図を頭に入れ サンマルコ広場を目指します
あ ゴンドラ (~ ̄▽ ̄)~
どこを歩いても見かけます
まぁ男同士ですので 私達は乗りません :(´◦ㅁ◦乂):
参考までに 今の料金を調べたら(1ユーロ≒130円)
昼間:80ユーロ・30分(20分延長ごとに40ユーロ加算)
夜間:19~20時 100ユーロ・35分(20分延長ごとに50ユーロ加算)
だそうです
クルクル巡って なんとかサンマルコ広場に
(写っているのはサンマルコ寺院)
カフェからは生演奏も流れ 良い雰囲気~ ♪
と言いたい所ですが 訪れたのは7月7日
温気で汚い海の臭いが (;¯y¯)c.。o○.。o○.。o○
はっきり言って海 汚いです (;´o`)
プラス
北欧やドイツアルプスの 涼しい(寒い?)地域を巡った後なので
暑さがキツイ (ー○ー)=3
なんにしても 人と鳩だらけ
(ちなみに私 ロリコンではありません!)
最後に スカルチィ橋で1枚
顔がすっかり日焼けしております(笑”
1989年(平成元年) ヨーロッパの旅 11 西ドイツ ノイシュバンシュタイン城&ミュンヘン [1989年(平成元年) ヨーロッパの旅]
さて フュッセンといえば
ディズニーランドのシンデレラ城のモデルと謂われる
ノイシュバンシュタイン城ですね
狂王とかメルヘン王と異名を取る ルートヴィヒ2世の命で造られました
(実は まだ未完成なんだそう)
彼の死は 未だに謎らしいです
もちろん入城して見学したのですが ドイツ語で (゚_。)? でした
(チケット売り場は大行列)
そして彼の父親 マクシミリアン2世が廃城を購入し改築した
ちょっと小さめですが 黄色で可愛いです
で フュッセンまで来れば ミュンヘンは目と鼻と口の先?
まずは マリエン広場の新市庁舎
(反対側にある 聖ペテロ教会から撮影)
からくり時計で有名ですが
はっきり言って 大した事 無いです !!!
すぐ近くにある 聖母教会は立派 ٩(๑>∀<๑)و
で 少し散策
ヴァバリアの女神像
バイエルン州の守護神らしいです
ブログを書きながら調べていたら 像の前は広場になっており
ここで有名な オクトーバーフェストが開かれるんだそうです
(当時はまったく知りませんでした)
聖パウロ教会
1960年(昭和35年) アメリカ空軍機がエンジントラブルで
この教会の尖塔に接触 墜落し2台の路面電車に衝突し
52人が死亡した事故(C-131墜落事故)があったそうです
ちょっと時間があったので 郊外にも行きました
オーストリア・ウィーンのシェーンブルン宮殿に似ていますね
それにしても 庭園が綺麗です
向かい側には ルストハイム城があります(小っちゃくて - -;)
そして夜 有名なホフブロイハウスへ行ったのですが
(私たちの様な観光客は 有料ですが ショーが行われる3階がオススメ)
酒が弱い先輩 日記によると大ジョッキ一杯でヘロヘロ
周りの人や店員に笑われていたと書かれていました (ᵔᗜᵔ*)
で 西ドイツ もう1ヵ所
ほとんどの方は知らないと思いますが ヒトラーが保養地にした
ベルヒテスガーデンへ向かいます
ヒトラーの別荘があるのですが そこは山の上
そこには簡単には行けないので 手前にある
ドイツで一番美しい湖という ケーニヒ湖の遊覧船に乗る予定なんですが
が?
とりあえず g’suffa!
もし ミュンヘンのビアホールを訪れる予定がありましたら
(⇧ 3階です ⇧)
♪ アイン プロージット アイン プロージット
デア(デル) ゲミュートリッヒカイト ♫
繰り返し
アインス ツヴァイ ドライ ズッファ!(プロースト!)
(* ̄0 ̄*)ノ口
憶えておいて 損はありませんよ (◎o◎)b
(最後の2枚は 2001年[平成13年]に妻と訪れた時の物)
1989年(平成元年) ヨーロッパの旅 10 西ドイツのハイデルベルクとローテンブルク [1989年(平成元年) ヨーロッパの旅]
ここハイデルベルク(西ドイツ)は 古城と石畳が織りなす城下町
まずはアルトブリュッケ(訳すと 単なる古い橋の意)
正式名称は カール・テオドール橋
後方に見える古城は
ハイデルベルク城です
そして
町中を流れるネッカー川沿いの町並みが
なんとも ( ˘͈ ᵕ ˘͈ ) ♡ であります
ここで スペイン在住と言う日本人女性と会い
一緒に城を見学です
中を見学できるのですが
壊れそうで ちょっと怖いです (∩´﹏`∩)
城内に鎮座ましますワインの大樽
実際にワインが入っていまして 有料で呑む事が出来ます ( ^_^)/U
(使用したグラスは持ち帰り可 で 持って帰って割っちゃいました)
それにしてもハイデルベルク
ココこそが中世のヨーロッパ! なんて言えそうな町で御座います
そして翌日はバスで
ヴュルツブルクまでは古城街道バス そこでロマンティック街道バスに乗り換えて
ロマンティック街道を巡ります
とりあえず 可愛い町(名前不明)でトイレ休憩
有名なローテンブルクに到着
中世の宝石箱と称される町なんですが
同行の先輩が頼まれた土産を買うのに手間取り ほとんど観光出来ず (lll´-д-)
で フュッセンへ
┐( -”-)┌
1989年(平成元年) ヨーロッパの旅 9 ノルウェーのベルゲン [1989年(平成元年) ヨーロッパの旅]
遅れに遅れた列車は途中
ミュールダールと言う駅で小休止
(何がある という訳では無いのですが とりあえず写真を撮ったので)
それにしても寒いっす (((´д`)))
で やっとの事でベルゲンに と言いたい所ですが
車窓がとても良かったので ちょっと楽しい列車旅となりました (´0`)ノ
そして ホテルにチェックインするまで少しだけ散策
港に面して立ち並ぶ
カラフルな三角屋根の木造建築ブリッゲン(世界遺産)
何とも可愛い建物ですが
昔はドイツ人の居留地で 商館だったそう
今では土産店やレストラン 魚市場になっています
翌日はフロム鉄道に乗ります
途中のショース滝駅で一旦停車
ショース滝を見学です
目の前に滝が落ちるので大迫力 ( ◎ Д ◎; )
終点のフロム駅
ここから? 観光船でソグネフィヨルドを観光したのですが
寒いだけで あまり面白くありませんでした (○`з´○)q
(ニュージーランドでも行きましたが フィヨルドはつまらないです)
さて フィヨルド観光の帰りのバスで
フランス在住という日本人女性の二人と出会い雑談
数日後にパリへ行く と言ったら
「その日の前後はホテル 空いて無いかも?
だって巴里祭(フランス革命記念日)ですよ!」
工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工
で またベルゲンに戻り
ケーブルカーでフロイエン山の山頂へ
レゴブロックの様な 可愛い町並みが一望です
綺麗なベルゲンの町に別れを告げ これからは強行軍
ベルゲンから夜行でノルウェーのオスロ 乗り換えて西ドイツのハンブルク
そして またまた夜行で西ドイツのハイデルベルクに
Ω\ζ゜) チーン♪
ヘロヘロですが
少し市内観光を
(-_-)/'
1989年(平成元年) ヨーロッパの旅 8 ノルウェイ オスロのフログネル公園 [1989年(平成元年) ヨーロッパの旅]
ちょっと余談になりますが お金の話
世の中 銭で御座います ヾ($∀¥;ヾ) カネカネ ♪
海外へ行った訳ですから 現地の通貨は当然必要です
日本で両替していく方法もありますが 現金を多額に持ち歩くのは危険 (꒪ཫ꒪; )
(もちろんクレジットカードは持って行きました)
なので 持って行ったのがTC(トラベラーズチェック)
今では発行していないのですが 現金よりも両替率が良く
大きいホテルや商店では現金同様に使え(お釣りも出ます)
紛失しても再発行してくれるので 当時は必須?なアイテムでした
一番有名だったのはアメリカンエキスプレス
TCを購入したら まずは緑の枠に署名
使う時に 橙枠に同じ署名をして使います
さて オスロに着き まず向かったのが
1952年(昭和27年)開催のオスロオリンピックで使われました
次に先輩のオススメ?
なんか変わった公園があるというので寄ってみました
ノルウェーの彫刻家
グスタフ・ヴィーゲランという人の作品のみが展示されている公園でして
「人生の諸相」?をテーマにした 大小212点の彫刻があります
圧巻なのはモノリッテン(人間の塔)
121人の老若男女の裸体が刻まれ
人生の縮図を表しているという作品です
モノリッテンの周囲には?
負けました ┏○
(チェコでも でしたが 意外と女性の方々が握るのにはビックリっす!)
なんともすべて裸像で おおらかな公園なのであります <(*'-^)‐☆
写真は無いのですが 「おこりんぼう」という幼児の裸像が有名です
あ オスロは雨が降ってきました
そして翌日はベルゲンへ
車窓が何とも北欧ですね
で 途中で
吹雪になり(6月29日です)
列車は3時間以上の遅延中 ヽ(~Д~)ノ
1989年(平成元年) ヨーロッパの旅 7 ノルウェイ ストックホルムの衛兵交代 [1989年(平成元年) ヨーロッパの旅]
とりあえず昼前にストックホルムに着いたものの
眠~い (´-□-`*)
なんて言っていられません
この日は先輩が楽しみにしていた 帆船のユースホステルに泊まる予定なんです
まずはその
もちろん予約なんですが
並んで もうすぐ私たちの番 と言う時に昼
こちらは誰が並んでいようが 何を言おうが 休憩は休憩
窓口をバチンと閉められてしまい (ノ`□´)ノ⌒┻━┻
で 1時間後に再受付で 無事に予約(当日分の)OK牧場(疲”
ホッ!として 露店でチーズバーガーを食べ
(とても美味しかったと記憶しています)
とても疲れたので この日は
衛兵交代を見て終わり
ホナ (。・ω・) サイナラノ”
でも 衛兵と言うよりは
服の色を変えたら 天空の城ラピュタの
軍隊みたいです(チト違うかな?)
なぜか 先輩を見て笑う衛兵 (≧ω≦。)
でも私が行くと?
近くまで来てくれました (^0^)v
(普段の行いでしょうか?)
で 先輩が楽しみにしていた 帆船のユースホステルはコチラ
ちゃんと赤いリュック背負って
キチンとバックパッカーしとります (`◇´)ゞ
なんか良さ気に見えますが
なんせYHですので 男女別の相部屋
落ち着いて眠る事が出来ませんでした
そして翌日 森と湖の車窓を眺めながら
ノルウェーのオスロへ ε=ε=ε=ε= ヽ(*・ω・)ノ
1989年(平成元年) ヨーロッパの旅 6 デンマークのコペンハーゲン [1989年(平成元年) ヨーロッパの旅]
それでは早速正解を
答えは 「いる」 でした (^┳^)
さて
ブリュッセルの次の目的地は 北欧のパリとも呼ばれる
デンマークのコペンハーゲン
今思うと不思議な事に ベルギーから斜め右上に向かえばデンマークなのに
なぜか下方 遠回りでフランスのパリへと? 良い列車が無かったのかな?
で パリの北駅に着き(パリには パリ駅は無いのであります)
夜行に乗り換え
私達のユーレイルパスは一等用なんですが 二等しか付いて無い列車だったので
一部屋6ベットのクシェットを利用
メチャクチャ狭かったと 日記に書いてありました
そして 早朝に西ドイツのハンブルク
(確か朝御飯に 生肉が乗ったパンを食べた記憶が!)
またまた乗り換えて 一路デンマークのコペンハーゲンへ
西ドイツ~デンマーク間のフェリーにて
(列車がフェリーに乗って そのまま航行です)
そして デンマーク(かなぁ?)
ちなみに 日付が入っている写真は先輩のカメラで撮った物
せっかく高いミノルタのカメラ(AF一眼レフ)を買ったのに
安い現像所に出してしまい 何とも写りが ○o。.
(こだわりが中途半端?)
んで 夕刻にコペンハーゲン着なんですが 先輩は早やダウン気味
早々にホテルに入り休息
泊まったホテルの部屋から 部屋前のホテルを
先輩は有料のエロチャンネルを見続けておりました(かなり高額に!)
翌日は簡単に市内観光です
エロチャンネルを見て 先輩は元気復活?
まずはコペンハーゲンの目抜き通り ストロイエ通り
日本でいえば銀座?
⇧ 奥に見える尖塔は コペンハーゲンで最も古い聖霊教会です ⇧
童話作家 アンデルセンが愛したというニューハウン
このカラフルな町並みは 元々は船乗り達が寄る居酒屋街
アンデルセンがデビューした頃と 晩年を過ごしたそうで
アンデルセンが暮らした家も残っているそうです
あ! もうすぐ午後12時
衛兵の交代があるという事で アマリエンボー宮殿へ
始まりましたよ (^o^)丿
写真ではカッコよく見えますが
足並みが全然揃って無く
それが逆に楽しい
交代式なのであります
(若い男の子ばっかりで もしかしたら王妃の好み?)
アマリエンボー宮殿の前にある公園にて1枚
(⇧ 奥に見えるドームはフレデリクス教会 ⇧)
バラが咲き誇っていました
で 確か有名な人魚姫像を見たはずですが
あまりのショボさに 写真は撮らなかった?
デンマーク王室&政府の迎賓館として使われているほか
国会議事堂や内閣府 最高裁判所が入っているそうです
左の塔は旧証券取引所 真ん中の塔はクリスチャンボー城
これで コペンハーゲン観光は終了
翌日はコペンハーゲンから列車で フレデリクスハウンという町から
フェリーでスウェーデンへ渡る予定でしたが
フェリー乗り場が見つからず(目の前でフェリーは行ってしまいました)
またまたコペンハーゲンへ戻り急遽 夜行列車に乗る事に
陽が沈みま~す
┐(´-`)┌
1989年(平成元年) ヨーロッパの旅 5 ベルギーのブルージュ [1989年(平成元年) ヨーロッパの旅]
ルクセンブルクと言えばベネルクス
中学校や高校でキチンと勉強した人には 簡単に?分かると思いますが
ベルギー オランダ(ネーデルランド) ルクセンブルクの三国を総称して言います
(いずれも立憲君主制)
まぁ 難しい話はこれくらいにして
足早に隣国 ベルギーのブルージュ(ブルッへ)へ
ε"ε"ε"ε(ノ´・д・)ノ
(チョコレートとレース編みで有名ですかね?)
この日(ルクセンブルク駅で手続き)からユーレイルパスを使います
まずは マルクト広場の鐘楼にて
ちなみにマルクトとは 市場というドイツ(オランダ)語
なので 市場が開かれる広場という意になります
レストランや土産店が立ち並び 賑やか \( °∀° )/
建物は この地方独特のフランドル風なんだそうです
(車が何とも昔の型)
そして 広場からはチョット離れますが ここブルージュで最も古い建物の一つ
知っている方もいるかと思いますが ここブルージュは
水の都 北のベネツィア 屋根の無い美術館と謂れておりまして
せっかくですから 余計な事は書きません
余談になりますが 運河の橋の上で佇んでいたら
下を通った遊覧船に乗っていた白人の子供から
ジャップと言われた事を覚えています (-"-;)
で ここ ブルージュで一泊し
(駅からは遠かったのですが すごく良いホテルでした)
翌日はベルギーの首都 ブリュッセルで乗り換え
少し時間があったので グランプラスへ
余談ですが ブリュッセルといえば小便小僧
(確か見たはずなんですが 写真は無く きっと小さ過ぎて写しても?)
実は 小便小娘もいる?
答えは次回に (^o^)丿
そして この後のパリへと向かうの列車で
(ユーロシティのルーベンスで 一等車のみの編成)
6人用のコンパートメント(個室)の喫煙車に乗ったのですが
たまたま乗り合わせた フランス語を話す4人の男女(30歳代)がいまして
私が煙草を吸おうと思って 煙草を口に咥えたら
とっても綺麗な女性が 火を点けてくれまして(嬉”
その綺麗な人
「福」という金色の文字が付いた ペンダントをしていました
(たぶん中国語? ですかね!)
さて 6月20日にフランクフルトに着いてから 6月23日までは
こんな行程です
1989年(平成元年) ヨーロッパの旅 4 ユーレイルパスとルクセンブルク [1989年(平成元年) ヨーロッパの旅]
前述のユーレイルパス
(今回の物は残っておらず なので 次回使った物の写真です)
イギリスを除く ヨーロッパの鉄道が乗り放題のフリーパスとなります
(今はイギリスも大丈夫になった様です)
で いよいよヨーロッパを巡るのですが 旅は1ヵ月超
1ヵ月のパスを購入なので まだこの日は使えません
切符を買いルクセンブルクへ向かうのですが 反対方向の列車に乗ってしまい
またまたケルンに戻っているうちに 半日分くらい時間を損してしまいました
でも 間違ったおかげ?で
途中のコブレンツからルクセンブルクへ向かう途中
ドイツの女性(名前はカッティアさん)と話す事が出来ました
(ドイツ語の担当は先輩ですし 何を話したか全く覚えておりません)
予定より大幅に遅れて ルクセンブルク中央駅に到着
(ルクセンブルク大公国の面積は 神奈川県と同じだそう)
駅近くの宿がとれたのですが
一晩中叫び声とかが聞こえ騒がしく なんか治安が悪そうでした
アドルフという人にちなんで付けられたとか
付近の雰囲気は
森林と渓谷の街とでも表現したいくらい
ペトリュス渓谷に作られた町並みが なんとも趣があって見飽きません
⇧ 奥に見える尖塔は たぶんノートルダム大聖堂 ⇧
ちなみに 町中で警備されている建物がありましたが ここは
ルクセンブルクは 大公(王室かな?)が治める国なのであります
もっとゆっくり見たかったなぁ ○o。.
一緒に行った先輩
足早にアチコチ見たい人で どこも半日か
長くても一日しか滞在しない 兎に角 なんでも見たい人
なのであります
しんどー( -。-) =3
1989年(平成元年) ヨーロッパの旅 3 フランクフルトからライン川沿いにケルンへ [1989年(平成元年) ヨーロッパの旅]
なんとか無事に切符を買い 予定の列車に乗車
(ちなみにフランクフルト駅で 自力でドイツの煙草 HBを数箱ほど購入
しばらくは煙草に困りません! (^。^)y-.。o○)
列車は途中のマインツからケルンまで ライン川沿いを走るのですが
古城をアチコチに眺める事が出来ました
(ブログにするにあたり いちおう調べたのですが 間違っていたら <(_ _)>)
⇧ ライン川を航行する船から通行税を巻き上げていたそうです ⇧
この後 有名なローレライが見えたのですが ただの岩でした(笑”
正式な名称はブルク ノイ・カッツェネルンボーゲン城(たぶん)
日本人が所有?みたいです
ホテルにしたかったらしいのですが ユネスコの遺産になってしまい
⇧ 計画が頓挫してしまったとか ⇧
⇧ 正式な名称はトゥルンベルク城だそうです ⇧
ネコとネズミと言う名称(ニックネーム)が面白いのですね
それにしても あまりにも古城がありまして 途中で飽きます
さて これからも列車の旅が続くのですが これに欠かせないのが
トーマスクック時刻表(ヨーロピアンタイムテーブル)
(ネットから借用した画像で 実際に使った物とは異なります)
今は廃刊になってしまいましたが(違う会社が出している?らしいです)
ヨーロッパの鉄道を ほぼ網羅した時刻表です
この時刻表とユーレイルパス(詳細は後日)を駆使して 1ヵ月超の旅が続きます
で やっと最初の目的地 ケルンに到着
ホテルを取り(左の黄色とピンクの建物)
眺め悪っ (._.)
シャワー付きのツインなんですが なんとシャワーは壁に空いた三角形の穴の中
屈んで入り 屈んだままシャワーを浴びるような小さなシャワー室でした
(フランス語圏以外の宿は その日その日に駅のインフォメーションで予約です)
ケルン大聖堂をチラッと見て
で 夕飯を食べて爆睡?したと思います
ちなみに日記には
夕飯代の方が宿泊代より高かった! と書いてありました