山谷 千束(吉原) 三ノ輪駅界隈を徘徊 3 (いろは商店街から吉原へ) [北&南千住 三ノ輪 入谷界隈]
では 来た道(都道464の吉野通り)を少し戻り
マンモス交番の脇の道に入ります
なんか寂しい通り なんですが
ココ いろは会商店街は 一昔前はアーケードになっており
あしたのジョーを前面に打ち出していた商店街だったのですが
アーケードを撤去した後 軒並み商店が減ってしまった様です(寂”
そして商店だけで無く 路上の人達も消えてしまいました
こんな歌も 今や望郷の彼方でしょうか?
そして商店街を抜けると そこは土手通り
(かつて土手があったから土手通り
地名は 日本堤[堤は堤防の意]となります)
なんか矢吹 丈の顔も
青ざめて見えるのは私だけ?
今の時代 山谷ブルースや
あしたのジョーのオープニングの様な歌は歌われなくなりましたが
貧困は今でも有る訳で こういう歌が無くなった事は
良いのか悪いのか 考えてしまいます
(最近は 貧困の気持ちを代弁する歌が無くなりました)
で 商店街が終わり左折すると
どちらも 言わずと知れた有名店ですね
中江は 明治38年(1905年)創業の 桜肉(馬肉)料理の店で
吉原で遊びたいが為に持っていた馬を売ったり
馬に乗ってきた人が遊び過ぎて金が無くなり馬を売ったり
そんな事で 馬を売りつけられた店は困りましたが
当時 文明開化で横浜で牛鍋が流行っていたのを真似て
「馬肉で鍋も旨いかも?」
なんて始まったのが起源だそうです
一方 土手の伊勢屋は明治22年(1889年)に食堂?として創業
途中から天婦羅専門店となったようです
ちなみに中江 伊勢屋の両建物は どちらも登録有形文化財に指定されています
そして すぐ目と鼻の先には?