山谷 千束(吉原) 三ノ輪駅界隈を徘徊 8 (投込寺の浄閑寺) [北&南千住 三ノ輪 入谷界隈]
新吉原を見て 訪れない訳にはいきません (*`・ω・)ゞ
三ノ輪駅から数分
投込寺の別名が付く 榮栄山 浄閑寺(浄土宗)
(1655年[明暦元年]創建)
安政の大地震の時に亡くなった吉原の遊女たちが
投げ捨てられる様に(諸説あり)葬られた事から
この別名(投込寺)が付いたそうです
門脇には 小夜衣(さよごろも?さよぎぬ?)供養地蔵尊
四つ目屋という遊郭で火事が起き
犯人は小夜衣という遊女だと思った店主は 彼女を火炙りに
しかし その後も四つ目屋に火事が続き けっきょく店は潰れてしまい
この遊女 小夜衣を弔う為に造られた地蔵尊と云われています
幾つか史跡があるので 寺院内の墓地へ入ります
入るとスグに 若紫の墓
5年の年季が終わる5日前に 客の刃に倒れた遊女の墓だそうです
年季明けには 晴れて所帯を持つ予定があったとか(哀”
吉原随一の美人遊女だったそうです
分かり難い場所にありますが 首洗い井戸
父の仇を討とうとした兄弟
逆に仇敵に兄が返り討ちにあってしまい
弟が兄の首を洗っていたところ 弟も仇敵に討たれてしまったとか (;´д`)トホホ…
一番大きく目立つのは 新吉原総霊塔
寛政5年(1793年)に建てられた供養塔を
昭和4年(1929年)に改修したもので
安政の大地震で横死した遊女 五百人余りを供養した塔だそう
他にも遊女の子や下働き 関東大震災で亡くなった遊女等
二万五千柱が葬られているそうです
ちなみに 遊女の平均寿命は22歳だったそうです
「空蝉を 残して空へ飛び立ちて 羽振るわせて命終りぬ」
あ ちょっと悲しい記事になってしまいましたが
ここ浄閑寺 他にも史蹟がありますので
三ノ輪界隈を訪れた際は ぜひ足を運んでみて下さい