つけめん さなだ 鶏ほぐしつけめん [ラーメン]
北千住駅の西口から徒歩7~8分?
美味しい珈琲を飲ませてくれる 「千住宿 珈琲物語」の手前となります
元々は つけ麵の六厘舎の店長だったという店主が
昨年10月に 三郷から移転オープンしたとかで
確かこの場所 以前は猪太というラーメン屋(未訪問)だったと思います
で 開店10分前に到着 待ち客は一人
その後 開店前は私を含め 五人待ちという状態でした(平日)
そして店内はカウンターのみで 10席ほどだと思います
注文したのは 味玉・鶏ほぐしつけめん(税込み 1100円)
モッチリとした太麺(今流行りのタピオカ粉入り)
スープは節系の味が若干強め?
ネッチリ半熟の味玉は 適度な甘さと ん! 微かに薄荷?
至って普通の豚と鶏のチャーシューが各1で 付け汁の中に鶏ほぐし
「ほぐし」というか 挽肉でしたけど (・.・;)
私的には マァおいしい? でしょうか!
途中 テーブルにあったグレープフルーツ酢で味変しましたが
私的には 六厘舎(ソラマチ店)の方が美味しかった気が (^-^;
旧千住郵便局電話事務室 [北&南千住 三ノ輪 入谷界隈]
ここ最近の夜勤明け
朝10時くらいに終わる事が多く ランチまでちょい時間が
「爺なんだから早く帰れ!」
という声も聞こえそうですが ん! オイ コラ ゛(`ヘ´#)
で 北千住駅の西口から
飲み屋横丁を通り
時間潰しの徘徊 ( ´p` )/
何軒か朝から(24時間) 呑める店あります (◎o◎)b
飲み横の途中を右折
これまた再訪なのですが 旧千住郵便局電話事務室へ
北千住駅の西口から徒歩10分弱? 千住中居町交差点の近くにあります
1929年(昭和4年)に建てられたもので 設計は山田 守
曲面や曲線を用いた
個性的な建築家なんだそうです
日本武道館や京都タワーも手掛けたそうで (・0・。)
ココ 2004年(平成14年)に閉鎖されましたが
いつまで建物が残っているかが
マニアには気がかりなんだそうです
(。•́︿•̀。)
浄閑寺(投込寺) [北&南千住 三ノ輪 入谷界隈]
お腹も満たされ 三ノ輪駅へと帰途の途中ですが
も少し徘徊していきます (・ρ゜)/
三ノ輪駅のすぐ手前に 江戸五色不動の一つ
目黄不動の永久寺があるのですが
数回来たにも関らず 相変わらずココは門を閉ざしています
なんでやねん (●`□´●)
以前記事にしましたが
気を取り直して 三ノ輪駅のチョイ裏手
浄閑寺を久しぶりに (ToT)/
安政の大地震の時に亡くなった吉原の遊女たちが
投げ捨てられる様に(諸説あり) この浄閑寺に葬られた事から
投込寺の別名が付いています
門前には小夜衣(さよごろも?さよぎぬ?)地蔵
四つ目屋という遊郭で火事が起き
犯人は小夜衣という遊女だと思った店主は 彼女を火炙りに
しかし その後も四つ目屋に火事が続き けっきょく店は潰れてしまい
この遊女 小夜衣を弔う為に造られた地蔵尊と云われています
門をくぐると 左手に豕塚(いのこづか)
厄除けの為 白い豚を吉原大門の傍らで飼育していたそうで
その豚が死んだあと 葬ったものだそう
豚塚とも呼ばれます
で 墓地内に入っていきます
入ってスグ右には 若紫の墓
5年の年季が終わる5日前
客の刃に倒れた遊女の墓だそうです
年季明けには 晴れて所帯を持つ予定があったとか(哀”
新吉原総霊塔
これは 新吉原の創業から昭和の廃業まで
遊女を含む 遊郭内で下働きしていた人達の供養を含めた供養塔で
納められた人は 2万5千柱に及ぶそうで
無くなった時は藁など粗末な物に包まれ 葬られたそうです
ちなみに 遊女の平均寿命は22歳なんだとか
こんな寂しい歌もあります
「空蝉を 残して空へ飛び立ちて 羽振るわせて命終りぬ」
ひまわり地蔵尊
山谷で一人寂しく人生を終えた 日雇い労働者を弔うための御地蔵様です
他にも
兄弟で仇討ちをしようとして 逆に兄が返り討ちに合い
その兄の首を弟が洗っている時に 無残にも弟も討たれてしまうという
なんとも哀れな話ですが
弟が兄の首を洗ったという首洗いの井戸等 幾つか史跡があります
小塚原 吉原 投込寺
そして近くの一葉記念館や
お酉様の鷲神社に長國寺を巡っても半日?
土手の伊勢屋 [北&南千住 三ノ輪 入谷界隈]
南千住駅から 15分くらい歩いたでしょうか?
やっと とある日の夜勤明けランチです
それにしても久しぶり (^^)/
創業は明治22年(1889年)らしいです
当時は天婦羅だけで無く 鍋に鰻や泥鰌も扱う食堂みたいな店だったとか
昼は一般客が多かったがらしいのですが それ以外の時間は
朝帰りの客や 夕方は遊女屋の客引き(ギュウタロウ)
夜は遊女からの出前と繁盛していたそうです
昔の建物は 関東大震災で全壊
今の建物は 昭和2年(1927年)に再建されたもので
空襲でも奇跡的に焼け残り
平成22年(2010年)には 有形文化財に指定されました
昔は店の前に土手(というか堀 お歯黒溝{どぶ})があった事から
土手の伊勢屋と呼ばれる様になったそうです
さて 天丼は4種類ありまして 最初に来た時は一番高いハ
量が多かったので 2回目はロ
これも量が多いので 今回は一番安いイ(税込み 1600円)を
キス イカのかき揚げ 海老二本 獅子唐になります
程良くサックリ揚がった天婦羅に 少し甘めのタレ
なかなか美味
(ノ≧ڡ≦)
プラス 美味しい なめこ椀(200円)もお願いしました
(お新香は 天丼に付いております)
でもやっぱり 量は多めで お腹一杯
o(≧~≦)o
あ! もう一つの天丼は 海老天丼となります
天婦羅御飯(天婦羅定食?)もあります
ちなみに 開店10分ほど前(朝11時開店)に到着したのですが
早や既に 平日なのに10人以上並んでおりまして
なんとか一巡目に入店できたのですが 料理が来たのは11時30分ころ
ちなみに
昼しか営業していませんので 御注意下さい!
いろは会商店街から吉原大門 [北&南千住 三ノ輪 入谷界隈]
マンモス交番を右折し
いろは会商店街を通り
ん! 道 間違えた?
と 思ったら
いつの間にか アーケードが無くなっていました(数年前の写真)
路上生活者の 雨宿りの場所が無くなった?
ていうか今回 全然そういう人達を見なかったのですが (・_・;
そして
あしたのジョー達の 横断幕やパネルも無くなっていました
(・.・;)
でも
ジョーは 一人寂し気ながら健在でした
\(^o^)/
で ココを左折すると
見返りの柳も健在
遊び帰りの男が
名残を惜しんで 後ろを振り返った事から付いた名前だそうで
よっぽど楽しかったんでしょうね (ノω`*)♪
そして吉原大門の内側は 入口が右カーブになっていて
外側からは見えなくなっているそうです
幕府が配慮したそうな (◎o◎)b
それにしても大門のすぐ前に 馬肉料理(桜肉鍋)の店があるのですが
これは
馬に乗って遊びに来た金持ちが 金を使い過ぎてスッカラカン
しょうがなく 乗ってきた馬を売って支払いをしたのですが
その馬が余ってしまい 買った方はどうしよう
/(*-_-*)\
ならば食べてしまえ!
という訳で
吉原周辺には馬肉を売る店や 食べさせてくれる店が数軒ほど出来たそうな
なんと言って良いのやら?
で やっと 夜勤明けランチです(汗”
泪橋(山谷) [北&南千住 三ノ輪 入谷界隈]
延命寺から旧日光街道を 都心方向へ進みます
。。。。(( T_T)トボトボ
明治通りと交わるところ 久しぶりの泪橋交差点です (^o^)丿
今は暗渠になっているそうですが 昔は思川が流れていたそうです
名前の由来は 罪人にとっては この世との別れの場
家族や身内には 処刑される者との別れの場
お互いが橋の上で泪を流したので と云われています
(ToT)/~~~
数分歩き この交番を右折します
なんともデッカイ交番ですが 愛称はマンモス交番
正式名称は日本堤交番
今は考えられませんが
一昔前(まだ終わっていない?)の労働争議に対する交番でした
そしてここは山谷
ドヤ街の中心という事で
今でも 簡易宿泊所が立ち並んでいます
そうそう
ドヤって 宿(ヤド)の逆さ言葉でしたね
こんな歌も今や昔になりつつ?
いえいえ 未だ過労死や 他の先進国より長時間労働
ある意味 日本って 変わらないのかもしれません
小塚原延命寺 [北&南千住 三ノ輪 入谷界隈]
小塚原回向院から
昭和57年(1982年)に分院し 独立したそうです
延命寺
回向院から一つ建物を挟んで 人形焼きの重盛商店の隣となります
(食べた事はありませんが 美味しいらしいです)
涎掛けをしている大きな地蔵様が鎮座していますので
すぐ分かると (@_@? 思います!
でも今でこそ 可愛い涎掛けや赤いニット帽を被ったお地蔵様達ですが
ちょっと前までは涎掛けやニット帽は無く 少し不気味な雰囲気が漂っていました
それもそのはず
このお地蔵様は首切り地蔵と呼ばれ
刑死者の菩提を弔うために 寛保元年(1741年)に建立されたそうで
明治の初期まで ここで磔や斬首が行われていたとか
((((゚Д゚))))
実は刀の試し切りも 刑死者の男の死体が使われたそう
(((;゚ρ゚)))
気を取り直して 山谷方面へ向かいます (ToT)/
小塚原回向院 [北&南千住 三ノ輪 入谷界隈]
とある日の夜勤明け
インフルエンザの余韻もほぼ消え?
何かこってりした物が食べたいな! と思ったのですが
まだ朝10時を過ぎたばかりで 開いている店がありません
開くまで 久しぶりに少し徘徊でもしましょうか ( ̄ρ ̄)/
(だいぶ前に記事にした場所の再訪となり 似た様な記事になります)
まずは東京メトロ日比谷線 南千住駅の南口へ
出口を出ると 葵の御紋があるのでスグ分かります
小塚原回向院
寛文7年(1667年) 本所の回向院の住職が
刑死者を弔うために開いた お堂から始まった寺だそうです
んで
元々この地は江戸時代から明治初期まで 小塚原(こづかはら)刑場でして
:;(∩´﹏`∩);:
そして 本所回向院が 振袖火事の焼死者を弔う為に江戸幕府が開いたので
葵の御紋が付けられているのだそうです(今は別院です)
門前には 昭和38年(1963年)に起きた
吉展という男児の誘拐殺人事件の供養の為の地蔵尊
建物の側壁には 教科書で見た事あるかも?
観臓記念碑で
これがきっかけで 解体新書を翻訳したと云われています
建物を抜けると 面白い形の墓(腕)がありますが
書くと面倒ですので 興味がある人は ☞ コチラを ☜ を
ちなみにこの墓は 悪役4人組と呼ばれる
一番左が 鼠小僧次郎吉です
それでは 少しばかり徘徊開始 (^o^)丿
小原酒造 「福島県 喜多方市」 [酒]
喜多方駅から 歩いて20分ほどで着くと思います
創業は享保2年(1717年)
うわっ! 300年超 Σ(・ω・ノ)ノ!
立派な蔵造りの酒蔵です
店頭の暖簾には「酒蔵くらしっく」?
なんと クラシックを聴かせて造る 日本初の蔵なんだとか
会津大仏様から歩き続けたせいか
かなり疲れ始めて 店内写真を撮る元気が無くなりながらも
毎度の2本
純米酒 桃色にごり酒 紅寒梅
天然酵母を使ったという 奇麗な桃色の日本酒
ちょっと酸味を感じる香り
吞み口もかなり酸味が強く 白ワインを思わせる
見た目と違い キリッとした辛口
ん! 熟していない 酸っぱめの苺の風味?
アルコール度数は 8.2度と低め
特別純米酒 蔵粋(くらしっく)
モーツァルトを聴かせて育てたそうで
控えめながら ふっくらとした優しい香り
吞み口あっさり
すっきりとした旨辛口
[93蔵]
サニーダイナー本店でベーコンエッグチーズバーガー「東京 北千住駅」 [北&南千住 三ノ輪 入谷界隈]
北千住ルミネの支店は何度も利用しているのですが
本店は初めてです
2005年11月にオープン
ハンバーガー激戦区の北千住で2017年から
食べログの百名店に三年連続選ばれています
オメデトウ(^▽^)ゴザイマース
店内はカウンターが4~5席ほど? 4人掛けテーブルが2という小さな店舗で
ちょっと独特な雰囲気です
レモン水を飲みながら待つ事数分
ベーコンエッグチーズバーガー(税抜き1380円)が着席
カリカリのポテトがたっぷり \(^o^)/
右上の野菜を挟み バーガー袋に入れ
パクリ o(*´〇`*)o
もう
*☆*――――――――――――――― 幸せ ――――――――――――――――*☆*